通訳ガイドが書いた「地域の歴史が学べる観光ガイドブック」研修会
八坂神社は、昨年末本殿が国宝に認定されました。ガイド中に話が弾む境内の見所を巡ります。祇園を楽しみに京都に来られるお客様が知りたいこと、本当に祇園にはたくさんあります。例えば、花街には、それぞれの紋章があり宮川町の紋章は、「三つ輪」。これは何を表しているかご存知ですか?明治時代、寺社と町屋と花街の三者の結合をイメージして定められたとされています。お客様にお話した後には三つ輪の紋章の入った提灯を見つけて一緒に写真を撮られることがよくあります。
驚いたり感心したりお客様に喜んでいただけるように、祇園に詳しくなり祇園を100%楽しんでいただけるコースです。 (担当講師:上原真知子)
京都の花街(かがい)は現在、上七軒(かみしちけん)、宮川町(みやがわちょう)、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、祇園東(ぎおんひがし)、先斗町(ぽんとちょう)の「五花街」からなり、長年にわたって京文化の一翼を担ってきたとして、京都市により無形文化遺産に認定されている。お茶屋で芸を披露する文化自体は室町時代からあり、芸者という単語も当時からあったが、「花街」という単語が用いられるようになるのは江戸時代後期からである。
花街としての成立は1666年とされ、鴨川の東側の堤や石垣が整備されて鴨川の河原、流域が概ね現在のようになったことに始まる。清水寺の参道沿いだったことや、祇園と同様に八坂社の参道にも近く、さらに四条河原の歌舞伎や芝居櫓(しばい・やぐら)との結びつきも強かったことから、盛り場としての歴史はさらに遡れるようだ。
八坂神社(写真)は現在でこそ「神社」とされているが、平安時代前期に創建された当時は南都仏教に属して薬師如来を本尊とする「観慶寺」という神宮寺でもあり、ここにも神仏習合を見ることができる。平安中期になり、平安京で疫病が流行したことから、御霊(ごりょう)信仰にあやかって牛頭天王(ごずてんのう)(インドの古代信仰における疫病を司る神。当時の日本では素戔嗚尊(スサノオノミコト)や薬師如来と同一視された)を勧請し、本家インドの「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」(古代インドにあった僧院。釈迦が教えを説いたとされる)にあやかって「祇園社(ぎおんしゃ)」と名乗るようになった。
★ 通訳ガイドのための観光ガイドブック「京都編」 より抜粋