通訳ガイドが書いた「地域の歴史が学べる観光ガイドブック」研修会
鴨川から北東へ分岐して流れる高野川を東に見ながら下賀茂神社へ向かい、ケヤキ、エノキ、ムクノキなどの広葉樹を中心に古代樹林を構成する木々がうっそうと自生する糺の森(ただすのもり)を歩きます。ここはサスペンス劇場の撮影場所でも有名。下賀茂神社に向かう手前、かつての財閥の生活を思わせる日本庭園が美しい旧三井家別邸に立ち寄ります。下賀茂神社を後にして次に訪れるのは千利休が堺から京都に移り住んだ美しい地名「紫野」にある大徳寺を訪れます。京都のゴールデンコースで訪れる寺社と異なり、大徳寺境内は静かでお坊様に出会う機会がある数少ないお寺です。20か所を超える塔頭があるなかで、千利休や茶道とゆかりの深い大仙院にご案内します。運が良ければ前住職の名物和尚にお目にかかれるかもしれません。次に大徳寺のすぐ近くにある「玉の輿」で有名な桂昌院を祀る今宮神社を訪れます。最後に美しい織物を展示する西陣織会館に向かいます
(担当講師:尾辻まゆみ)
大徳寺の正式名称は「龍寶山(りゅうほうざん)大徳寺」で、臨済宗大徳寺派の大本山である。鎌倉時代末期の1315年、宗峰妙超(しゅうほう・みょうちょう)(1283~1338)により創建された小さなお堂が始まりとされる。妙超は、「大燈(だいとう)国師」という名でも知られる禅僧。寺が始まったのは1315年または1319年と言われ、花園上皇が大徳寺を祈願所とした1325年ごろから寺院としての形態が整ったと考えられている。
室町時代には応仁の乱で荒廃したが、「一休宗純」(いっきゅう・そうじゅん)により復興された。桃山時代に豊臣秀吉が織田信長の葬儀をこの寺で営み、信長の菩提を弔うため総見院を建立して寺領を寄進した。それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ、隆盛を極めた。
神代の昔、賀茂別雷神が神社裏手にある神山に降臨したと伝わり、天武天皇が現在の地に社殿を造営した。厄除、八方除、電気の守り神、必勝の神として親しまれている。下鴨神社同様、京都の最古社の一つ。京都御所からみて鬼門を守っている。祭神は、賀茂氏の氏神、賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)。
1994年に下鴨神社とともに世界文化遺産に登録された。
大徳寺の北西に今宮神社があるが、ここには794年の平安遷都以前から疫神(えきしん)を祀る社(現・摂社疫神社)があったとされる。平安京は都市として栄える一方、人々は疫病や災害に悩まされることが多く、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など、各地で盛んに「御霊会(ごりょうえ)」が営まれた。
今宮神社は「玉の輿神社」とも呼ばれる。西陣の八百屋の娘「お玉」は父の死後に武家の養女から公家の侍女になり、やがて江戸城大奥で勤め、3代将軍家光の側室となった。産まれた男子が5代将軍綱吉で、生母のお玉は「桂昌院」として絶大な力を持つようになる。
西陣地区の中央東寄りにある「西陣織会館」(写真)は、西陣織工業組合により運営されている入場無料の施設で、華やかな和装の美しさを紹介する「きものショー」が毎日開催されている。また、西陣織の紹介や史料が常時展示されている。機織りや染色といった伝統の業を紹介する制作実演も見学でき、西陣織をはじめとする小物やお土産品も販売されている。短時間での制作体験をはじめ、着物体験、十二単や舞妓・芸妓のなどの衣装体験も楽しめるようになっている。
★ 通訳ガイドのための観光ガイドブック「京都編」 より抜粋