通訳ガイドが書いた「地域の歴史が学べる観光ガイドブック」研修会
明治維新後、経済的に大きな打撃を受けた京都。その復興を図るため、京都内国博覧会が平安神宮のある岡崎で開催されました。本コースではまず平安神宮にある小川治兵衛7世作庭の神苑を訪れます。日本庭園のあちこちに小川治兵衛の庭師としての試みが見られる名園です。
次に足利義政が建てた慈照寺(銀閣寺)へと向かいます。義政隠遁の地として建てられた慈照寺には義政の政治嫌いを彷彿とさせる工夫が見られます。慈照寺近くには義政の時代、主家は滅びましたがその家来だった家系が今でも存続しています。
銀閣寺を後に、哲学の道を紅葉が美しい永観堂禅林寺を訪れます。秋から冬にかけて京都らしい趣ある哲学の道を歩きます。 (担当講師:尾辻まゆみ)
臨済宗南禅寺派の大本山。1264年、亀山天皇(90代)が母親である西園寺姞子(さいおんじ・きっし)のために建造した離宮(「禅林寺殿」)に由来する。1291年、亀山上皇が禅僧の無関普門(むかん・ふもん)を招き、開山させた。
京都市左京区にある神社本庁別表神社(旧官幣大社)。1895年創祀。平安京への遷都から1100周年を祝して京都に誘致された内国勧業博覧会のための紀年殿に由来する。社殿、拝殿、神門はそれぞれ平安京の内裏、太極殿、応天門を模して建てられた。社殿を取り囲むように広がる神苑は、東西南北の四苑からなり、南苑以外は七代小川治兵衛による作庭だ。その他、東には朝堂院の様式による蒼龍楼、西には白虎楼という、緑釉を施した瓦が目を引く建物がある。
浄土宗西山(せいざん)禅林寺派の総本山。一般に「永観堂」として知られているが、これは禅林寺の「中興の祖」とされる永観の名にちなんだもので、正式名称は無量寿院禅林寺(むりょうじゅいん・ぜんりんじ)という。
京都市左京区の臨済宗相国寺派寺院で、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。
本尊は釈迦如来。1482年、足利義政(室町幕府8代将軍)が自身の隠棲地としてこの地に山荘(東山殿(ひがしやまどの))を建てたことに由来する。1490年の義政没後、相国寺の宝処周財(ほうしょ・しゅうざい)により、夢窓疎石を追請開山として禅寺(相国寺の山外塔頭=離れた場所にある塔頭)とされた。「慈照寺」の名称は、義政の法号「慈照」に由来する。
★ 通訳ガイドのための観光ガイドブック「京都編」 より抜粋